先生、ご無沙汰しています。先日のインタビューを拝見し、お元気そうで何よりだと思っております。インタビューで私が作ったアクセサリーを付けているのを見て、年甲斐もなく喜んでしまいました。テレビの前で小躍りをしていると、娘が自室の棚からお菓子とお茶を持って来て、私に分けてくれました。先生のおかげで嬉しいことがいっぱいです。ありがとうございます。 さて、後日行われるお誕生日会ですが、私はまとめ役の一人として馳せ参じたく思います。とびきりのお部屋、とびきりの飾り付けをしようとみんなですでに烈火のように働いています。どれもこれも先生のおかげ。恩をこれでもかというくらいお返ししたくて仕方がないのです。 先生のおかげで繋がったいのちは多くあります。けれどもそれを鼻にもまつげにもかけずに、あなたのおかげと、私たちに生きる希望を下さったのは紛れもなく先生です。いつまでもあなたが元気でいてくださることが喜びと言っても過言ではありません。私たちはいろんな色、香り、音を楽しむことができます。無論、それが身体的にわからない人もいますが、そこは論点ではないのです。 わかる人がわかればいいわけではなく、わかる人も本当にわかっているかはわからないのだから、わかり合いたいと願おう。そうやって先生は、何もできないと悩む人々を支えて来ました。あなたはその名を知らなくても、私たちはあなたを知っている。まるで神様のようで、けれどすぐそばにいてくれる。声をあげたり、添えば応えてくれる。並大抵の活動量ではありません。 先生に一度、どうしてそんなに働くのかと尋ねたことがあります。小学三年生の子でした。先生はその時なんて答えたか覚えていますか? 「働きたいから。それに、私が働くことで私に興味を持ってくれる人がいるから。あなたみたいにね。そんな人に私は出会っていきたいから」 当時あなたは八十代だったかと思います。私は、この人はまだ働くつもりなのかと唖然としました。次の世代、お弟子さん方に引き継いで、休んでくれた方がいいのに、と。 しかし今になって私ら思います。先生とお弟子さんは、同じ志を持ってはいれど、全くの別人ですものね。先生でなければ私はこんなに長くお側にいなかったと思います。 先生は私にも仰いました。あなたは普段はカチコチの顔をしているのに、おはぎを食べる時はにこにことして、本当に正直な方ね。最初は揶揄かと思いましたが、後になって考えると夫にもそのようなことを言われた記憶があり、恥を忍んで申し上げると、先生と一緒にいる時は勉強と思って緊張していたのだと思います。先生のお孫さんの作るおはぎはまた格別で、ついつい、という感じです。 毎年夏が来るたびに、セミの声を聞き、ひまわりを愛で、庭で水遊びをする我が娘たちを思い出します。そんな姿を思い出しながら先生のお誕生会の準備をするのは、嬉しい忙しさです。 先生の好きな水羊羹はすでに用意済みです。もう毎日のようにお召し上がりだとは思いますけど、好きなものは何個あってもいいのです。 夏は夜更けまで、年甲斐もない恋のお話をしましょうね。 かをり