インタビュアーには仕事前のルーティンがある。  空に向かい、手を伸ばして、背筋を伸ばし、息を吐く。  天は、見離さない。

夏の盛り、文月の終わり。どんな服でも暑く感じ、いっそ素っ裸でいたいなぁなんて軽口を叩く若人。その中で本日のインタビュアーは紺色のスーツをピシャリと決めて、撮影も兼ねているからとほんの少しのアクセサリーでゲストを迎える。  ゲストの体調を考慮してクーラーの設定は高めだ。広いスタジオの隅々まで冷気がいくようにサーキュレーターも完備し、けれども風が直接当たらないように撮影範囲以外ではいろんなものを障害物としている。  舞台上、低めの丸テーブルに、自分の分のアルミの椅子。机上にはゲストの好きな季節の花が生けてあり、ひとときの癒しがある。しかし振り返ると、カメラや照明、音響、医者。不測の事態に備え、埃ひとつ舞うことが許されない空気感がピリピリと伝わってくる。  今日のゲストは大物だ。いや、ランクをつけるなんて是とはしないが、間違いなく本日のゲストは多くの人に慕われ、癒され、それらを勇気付けてきた。その彼女にインタビューをすることは文学を愛する人として誉であり、また、インタビュアーとしての実力を見透かされてしまう拷問でもある。インタビュアーの喉が静かに鳴る。  スタッフの一人が、瓜生先生入られます、と叫ぶ。カメラマンも、衣装スタッフも、照明さんもピシャリと背筋を正して、入り口に向き直る。 「先生、本日はよろしくお願いします」  インタビュアーは速やかに入り口へ向かい、車椅子に乗った老婆に笑いかける。椅子を押すのは彼女のマネージャー。老婆はにっこりと微笑み返し、ありがと。と言った。ゴングが鳴る。 「それでは本日のゲストにお越しいただきました。作家の瓜生千夜子先生です。先生、本日はありがとうございます。今年皇寿をお迎えになりますが、とてもお元気でいらっしゃいますね。その秘訣などはありますか?」  当たり障りのない質問から始まる。瓜生千夜子は若かりし頃から数多くの出会いと別れを繰り返し、そこで培った感情と心の揺れ動くさまを執筆して来た。初めて本が出版されたのは齢二十三の頃。その時すでに新聞や雑誌に寄稿した作品が人気を博し、当時彼女を知らない者はいないと言わしめるほどだった。その瓜生が百十一歳の誕生日を迎え、同じく創刊百十一年の雑誌「凛と夢」にインタビュー記事を載せることとなった。  瓜生は現在車椅子で生活をしているが、その声色は少女のように可憐で、壮年の女性の色香と麗しさがある。 「そうですね……」  小首を傾げ、どんな風に言葉を紡ぐかを迷っているように思える。しかしそれも束の間、彼女は目の前の、彼女からしてみれば年端もいかないインタビュアーに視線を寄せて、大真面目に話し出す。 「あたくしは夢がありまして、昨年はすいかを食べ損ねましたので、今年は絶対食べるぞ! と思って一年暮らしておりました。食べることが大好きですの。口に含んで、うまみというか、美味しいなーって気持ちが膨らんで、喉を通ってため息をつくんです。ですから、ちゃんと食べられるように鍛えているんですよ。硬いお煎餅などもぺろりとね」  手を口元へ持って来て食む姿はあどけなく、にこにこと食事を楽しんでいることがわかる。インタビュアーはつられてふふふと笑い、私もすいかが食べたくなって来ました、と返答する。 「今のすいかはとっても甘いので、お塩なんてかけなくても良いものね。赤いのも黄色いのも、今も昔も美味しく食べましたわ」  瓜生の笑顔はいつも満面で、媚びなど一切なかった。インタビュアーは年老いた彼女について一般的な高齢者のイメージを持っていたが、まったく違うものだと後悔した。彼女は身体こそ年齢に抗えないでいるが、心は常に新しく、記憶はしっかりしている。 「瓜生先生には生徒さんが大勢いらっしゃいますが、その方々とはどんなお話をされますか?」  この時すでに食べ物の話を四問ほどこなしている。これは、生徒からスイーツを作ってもらったという解答の続きである。  すると瓜生は手のひらを頬に当て考え出した。それはなにか些細なことを思い出す時のように、けれど間違えたくないといった雰囲気があった。  現状、瓜生の事務所が認識している、会員登録済みの生徒は三百二十四人。そのほとんどが瓜生との連絡に手紙を利用しており、瓜生は律儀に返しているという。 「私はいろんな、旅行先のことや散歩道のことや、昨日食べたご飯のお話などをしていますね」  瓜生は遠くを見て、もの想いに耽っているようだ。彼女が何か考え事をしている時、話しかけてはいけないというファンの中でのルールがある。インタビュアーもそれを知っている。けれど破ってみたかった。瓜生の中のタブーを壊し、その後どうなるのか見てみたかった。頃合いを見て、興味本位を装って語りかける。 「どんなところへ旅行されましたか?」  会話としてはいたって普通の流れだった。旅行ならばどこへ、食事なら何をというのが当然である。  しかし瓜生は、え? といった表情でインタビュアーへ向き直る。まずったか、インタビュアーの顔色がこわばる。瓜生の表情は、からりと明るく変わった。 「えーっ! どこへ、ですか? まぁ、どのお話をしましょうかね、お嬢さん、津軽はお好きですか? あたくしは涼しい時に行ったからとても良かったんですの。それからね、ちょっと離れたところにうちわ餅というのがありましてね……」  瓜生はあちらこちらに手を振り回し、道中訪ねた喫茶店で美味しいコーヒーを飲んだこと、そこのマスターがころころとした方でにっこり笑うとシュウマイのシワのようなお顔になって笑いを堪えるのが大変だったこと、コーヒーのお代わりまでしてしまってその夜はなかなか寝付けなかったことなどを話した。 「もう七十年ほど前になりますかね……。まだお店はあるかしら」 「そ、そんなに前でしたか」  よく覚えているなと流石にインタビュアーも感心した。  ふとカメラの方を見ると、瓜生のマネージャーが陰からタイムとジェスチャーする。瓜生に茶を差し出し、受け取った彼女はふぅとひと息。  これまで割と当たり障りのない話をして来たが、インタビュアーはふと思ったことがある。瓜生は元来頭のキレる大物作家で、インタビュアーは年齢にして四分の一ほどしか生きていない。自分は子供のように思われて、本質に迫る話は伺えないのではないか。  恐怖だった。自分の質を問われているのではないか、話し方が気に食わなかっただろうか。普段から瓜生の本を読んでいるインタビュアーとしては悔しさと共に近づき難い領域の差を感じた。また、そう思いながらも瓜生の話はとても楽しく、芯から楽しんでしまう自分がいることを否めなかった。  次で最後の質問である。 「先生、楽しいお話をありがとうございます。先生は生徒さん方とお手紙のやり取りをされていると伺いましたが、相当たくさん受け取られると思います。どのようにお返事していますか?」  瓜生は、じっとインタビュアーの目を見つめて答えた。 「手紙は簡単には書けません。短くても長くても、便箋を選び、ペンを選び、宛名を書き、こんにちはと書く。その時間が唯一無二の、相手のことを考える時間だと思います。インターネットが出てからあたくしもたくさん利用しました。ホームページを作ったりチャットや掲示板で交流したり、写真や絵をアップロードしたり。さまざまなことに利用できます。  けれど、紙のお手紙を書く時は、インクの色や字の美しさも気にしなくてはいけません。それを気にしない方は、あたくしの時代にはいらっしゃらないんじゃないでしょうか。  お手紙を書いてくださる方は、生徒だけではありません。本へのファンレターや、出版社の方々、お友達もそうです。あたくしに向けて、あたくしに聞いて欲しいと思って書いてくださってるのだと、心から思います」  瓜生はずっと頭に残っていることがある。多くの生徒がくれた手紙のひとつひとつ、どれにも多くの学びがあり、自分の知らない世界がある。歳をとり、百年が過ぎた頃、じっと我が道を振り返った時感じた。  知るということは足ることを知らないのだな。分かったと思っても、次から次へと疑問が出てくる。知らない言葉、知らない事象。いっそ清々しくなるほどに、私は無知だ。 「皆さん、とても優しいお言葉で書いてくださるの。美味しいおやつとか、きれいな宝石とか、猫がお腹を空かせていたり、石ころが山積みになっていたり。一見、なにが面白いのか理解が出来なくても、その方はそれが楽しいんです。その猫を飼ってくれたり、石の成分を調べてみるかもしれないんです。そう言ったことを生徒さんから学んでいます」 「先生が、学ばれるんですか?」  インタビュアーは恐る恐る質問した。瓜生は答える。 「もちろんですよ! みなさん専門がございますからね、それにおいては教わるばかりで、新しいことを素敵な先生に教わるんですからとても楽しいですよ。それに正直にお答えする。それだけよ」  瓜生はインタビュアーにお茶を差し出し、ずっと考えていたことを口にした。哀れみもなくただ純粋な気持ちだった。 「あたくし、ずーっと思っていたんです。あなたは今日ご挨拶くださってから、ずっとしょんぼりしておられるわ。お仕事ですから上手くお話しできないかもしれないけど、それがずっと悲しかったの。よかったら、どうなさったか教えて?」  また、首を傾げる瓜生に、インタビュアーははっとした。彼女は自分に気を遣っているわけではない。この空間のさまざまに向けて気をはらい、どうにもいたたまれなくなって自分に質問して来ている。  インタビュアーは確かに緊張もしていたし、当初場合によっては拷問になるかも、とさえ思っていた。それをすべて見透かされているのだ。 「すみません、そんなつもりでは……」 「そうでしたか? それならいいのよ。急にごめんなさいね」  瓜生は、お手紙の話の続きでしたわね、と言ってお茶を含む。また、静かに話し出した。 「お手紙を書くというのは、あたくしの時代はやはり特別でした。友人が男性から恋文をいただいたり、遠くに住む両親から、女学校時代のお友達から、いろんな方に出しては届きとしていました。  インターネットも電話すらない時代、あたくしたちを支えているのは記憶でした。今頃あの方はどうしているかしら。と考えて、その気持ちで用意して書くものでした。ただの近況報告でも、すべて書くわけではないのよ、お相手に伝えたいことを書くの。父には近所に柿が生りましたとか、友人には近所のカフェでお友達ができたとかね。出来ることが少なかったからこそのことだと思います。あたくしはその時間がとても好きなの」  インタビュアーには考え事があった。彼女の記憶の中の、半人前な自分。それに今、伝えたいことがある。 「私、今日先生にお会いできて嬉しいです。私もお手紙書いていいでしょうか」  あなたが大切だという気持ちを込めて書く手紙、その意味をしっかり受け取った瓜生は、ただ一言、もちろんよ、と返した。    瓜生千夜子さま  先日は弊社のインタビューにお応えいただき、まことにありがとうございました。  後ほど編集部から連絡が行くかと思いますが、今回のインタビューは、カラー、写真付き、全八ページとなり、これもひとえに先生のお力添えのたまものだと、ありがたく思っております。  私はこれからも「凛と夢」の取材陣として働いていきますが、先生にお会いした日、素敵なことが起こりました。娘が初めて「ママ」と言ってくれたんです。  なかなか発語が遅く、喃語もあまりなく心配していました。これからも発育についてはゆっくりである可能性はありますが、本当に素敵な一日となりました。七月三十一日は、私にとって盛大な記念日です。  お誕生日会のご様子がニュースで流れていました。素敵な生徒さんに囲まれた先生のお姿はとても可愛らしくて、穏やかな気持ちでいることができました。  先生、本当にありがとうございました。  先生はいつもお手紙の最後に付けるというアレを、私もお借りしたいと思います。  先生、またね!