先生、本日は……いえ、先生のいく先はいつでもお日柄のよいところですよね。  最近蝉が鳴いていますね。土の中で長く幼虫の時期を過ごし、無事に地上に出て自分のやるべきことをやる。一週間の命と言われますがその密度や時期の正確さ、懸命さを考えると見習いたいことが多いです。  先日父が体調を崩しまして、一日だけ入院しました。今どきよくある高齢者の熱中症なのですが、クーラーもかけて水もよく飲み、昼間の買い物は僕がしていました。なのにその日は急にだるいと言って寝込み、夕方には嘔吐があったので病院に行きました。嘔吐をしている人にはなにも飲ませない方がいいと思ったので看護師さんにもそう伝え、いろいろ診察していただきました。よく聞くと、数日前からだるくて食欲がなかったが言い出せなかったとのことでした。  母が亡くなって干支がひと回りした頃です。高齢だからと気を付けていたはずなのに、身近な注意を怠っていたことが自分としてはショックでした。  父は点滴を打ってもらってその日のうちには回復し、様子見ということで病院に寝泊まりしました。しかし自分の心の中では安心や不安が巡ってしまい、気が気ではありません。  一度ネガティブになると止まらなくなってしまいますね。母の時にもああしておけばこうしておけばと思ったりして、その日の夜は一人自宅で呆然としてしまいました。  次の日父が病院から帰宅してまず言ったことが「猫は来とるか」でした。野良猫がよくいるんです。朝と夕方頃に来てご飯をねだり、食べ終えるとどこかへ帰っていきます。父によく懐き、自分には近寄りません。  その日の夕方もちゃんと猫は来て、父も喜んでいました。  魔法なんてないことはわかっているんです。ちちんぷいぷいで料理ができたり戸棚が直るなんてない。けれどつい願ってしまいます。母と三人、仲睦まじく暮らしていたあの頃が懐かしく、戻らない現実に悲しくなってしまいます。  自分も父も、母のことを魔法使いのようだと考えていました。いつもすごいものを突然出して来て、それが航空券だったりアルバムだったりするのですがいつも驚かされました。理屈では考えられないような嬉しい時間を過ごしたこともあります。  母が死んでから、自分たちはとても落ち込みました。魔法が消えて、悲しみが降り、二度と光は差し込まないのかもしれないとすら思えてしまった。そんな時父が言ったんです。 「晴正、旅行だ」  母のカメラを持って出かけ、現像して眺めた時、母が帰って来たような気がしました。自分と父とが交互に撮った写真は、母が撮影した自分らそのものでした。  父はまだ自分は若いと言っています。自分もそう思います。まだまだ母譲りの多くの魔法を持って過ごしていくんだと思います。  先生、自分の話ばかりしてしまってすみません。先日撮った写真をお送りします。花時計が綺麗な公園でした。見事でしょ。  晴正